ちぎったメモの端っこに

明るい日も、暗い日も

断捨離の難しさ

祖母が亡くなったとき、読書が好きだった祖母の貯め込んでいた本の量に親族で唖然としたことがあります。そしてとにかく本は重い。片付けるのが一苦労でした。

 

でも、祖母が読んだ本を手に取ると、その本を手に取り、読んだ後がわかるような感じがして、祖母が恋しく、また懐かしく、離れてしまっても直鮮明に祖母の顔が浮かびます。叔父にお願いして、たくさん残した本の中から1冊だけ貰いました。

まるでお守りのように、いつも本棚に凛と鎮座しています。時々取り出しては読むわけでもなく、パラパラとめくり穏やかな紙の匂いを嗅いで、また元の位置へ。

 

ですが、片付けの大変さから、私も自分自身の荷物を減らす必要性を感じました。何かの準備と言うわけではなく、いつも周りのものを整理して必要か毛布必要か必要かもではなく、もう少しシビアにジャッジを下す。そうすることで、荷物の蓄え込みの節制は取れるように感じます。

 

一定のところまではかなりのスピード感を持って減らしていけるものの、途中から明らかにその歩みは遅くなり、最後のほうは失速します。懐かしいなぁとか思い出があるようなものは今後使わないとわかっていると処分を考えますが、少しだけ見てから....と言うような気持ちになり、結局動かした手を止めてしまう力を持っています。そういう仕分ける作業の日になるまでそういったものって結局開いてないことがほとんどなんですが。

 

いつか絶対に処分しなければならない日がやってくる。その日までに優しく1つずつを手放せる練習をしたいものです。

 

心穏やかに、今日もおやすみなさい。